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  浜脇高等温泉

 

 

 

● 歴 史

大字浜脇にある温泉で、東温泉(東の湯・弦月泉)と西温泉(西の湯・清華泉)が昭和三年(一九二八)六月合併してできた浴場の東側部分を高等猛泉という。 昭和八年版『別府市誌』によれば、市長神沢又一郎が市長に就任してから、浜脇東西両温泉を合併して之を浜脇温泉と改称し、総工費一〇万一、九五七円を投じ、昭和二年(一九二七)七月二十四日起工式をあげ、満一年の後、同三年六月、近世オランダ様式の建物が竣工した。(浜脇温泉の項参照) その後は、宏壮さと豊富な温泉に忠まれて多くの入場者があったが、温泉の湧出量は次第にへってきた。昭和十八年(一九四三年)の二月二十日の「西日本新聞」には、・六本の湧出口とも近年湧出量がおとろえ入湯が不可能となった。 ・市は復活に務めたが駄目だった。 ・堀田配給温泉を引湯し入湯の万全を期すことになった。(東の温・弦月泉) ・工費八万九、三一四円を十八年予算に計上し市会に提案した。と記されている。 現在おこなわれている堀田温泉の給湯は、この年からおこなわれたのである。なお、昭和五十九年度の入浴客は、二一万五、〇三七人であった。(東の湯・弦月泉)


場 所