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  九日天温泉

 

 

 

● 歴 史

一名、九日の湯・九日田の湯・供日天湯などと言う。 上田の湯町一五の八(元別府村)にある。 古くから開かれていた浴場で、明治四十一年『別府温泉誌』には、川の湯を西に進むこと一丁徐り、右方は別府高等小学校がある。○校の前に四坪斗りの建物がある。之が九日田の湯というのである。 と記された浴場で、皮膚病に特効があり、多くの浴客を集めていた。明治時代を通じて五月頃から十一月ごろまで夏の問だけ湧出し、冬の問は枯渇していたと言う。 一方、明治末期になると、別府温泉の医治効用が中外に認識され、明治四十二年(一九〇九)五月には常設転地療養所が開設された。さらに同四十三年(一九一〇)十一月十四日起工(元、別府尋常高等小学校跡)。同四十四年(一九一一)八月十日竣工。同四十五年(一九一二)二月一日、 小倉陸軍病院別府分院と呼称した頃から九日天温泉の一般利用は廃止されるに至った。その後区民は青山温泉・田の湯温泉に入浴していた。 その後、この温泉の湧出地は陸軍病院内に包合された。(現在地の西北、病院敷地内の低地、薬師仏が祀られていたところ)戦後になって、昭和三十三年(一九五八)頃から温泉ならびに上田ノ湯公民館設置の運動がおこり、営々努力の末、昭和四十年(一九六五)七月二十五日浴舎ならびに公民館が完成した。 この時の浴舎は、ブロック造りコンクリート塗りの瓦葺き家屋で、その後現在まで使用されているものである。 経営形態は、市有区営であり、入浴料は、赤ん坊は無料。幼小児童は二五〇円。中・高・一般は一人五五〇円である。

場 所