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  祷痔湯

 

 

 

● 歴 史

「とうじ湯」と呼ぶ。朝見三丁目(元朝見村)八坂神杜付近にあったという浴場。いま八坂神杜付近に「祇園温泉」があるが、これは後年になって設けられた浴場である。(↓祇園園温泉) ○痔湯については、江戸時代の「豊陽故事談」に小野検校の語った話として、次のように記されている。 -(上略)-昔有仙人来此処開温泉、名。○痔湯、其後行基菩薩建温泉寺、次観紫気騰立祠為温泉神、貞観九年地震鶴見山崩之節、温泉並神祠仏宇亡減厥、後天暦七年、依詔雖修補不復旧、貞元元年七月地震之砌遂破減了、…-・(下略)と、つまり、「昔仙人がこの地に来て住み、温泉を開いた。温泉の名は○痔湯(とうじゆ)と名付けられた。その後、行基菩薩が温泉寺を建てたあとで紫気のあがるのを見た。そこで祠を建て温泉の神とした。しかし貞観九年の地震で鶴見山が崩れたとき温泉・神祠・仏寺などが減亡した。天暦七年(九五三)詔によって修補したがもとの通りにはならなかった。貞元元年(九七六)には遂に破減してしまった」というのである。 別府市に数多く残る温泉伝説の一ツである。いずれにせよ。この伝説から朝見川流域に古くから温泉が湧き出していたこと、古代の人達が温泉の医治効用を知り利用していたことなどをうかがい知ることができる。朝見神社付近から、ラクテンチ下駅、一の出付近にかけては昭和初期まで自然湧出の温泉があった。 なお、『豊後国志』にも「とうじゆ」の名が見えるが、漢字は「等峙湯」の字を用いている。豊陽故事談の「祷痔湯」と同一温泉かどうかについては不明である。


場 所